わがままを言わせて



なかなか会えないとわかってはいたけど。
会いたいと思ってしまうのは、わがままですか?

−わがままを言わせて−


多摩川沿いの安アパート。
その階段をカツンカツンと上っていく青年がいる。
青年は奥の部屋の前まで行き、立ち止まりポケットを探っている。
扉の表札には「ヒグラシ」と書かれている。
彼は自分のポケットからやっと鍵を見つけ出して扉を開けた。
「ただいま〜」
暗い部屋の中からは誰の声も返っては来ない。
「……誰もいないとはわかっているんですけどね……」
ヒグラシは軽くため息をつくと部屋の明かりをつけた。
4畳半の良く片付いた部屋が明かりに照らされて浮かび上がった。
ヒグラシは部屋の端にある小さなテレビをつけた。
テレビには人気の音楽番組が映し出されている。
『今日のゲストはなんとイギリスからのお客様!W・B・ローズさんでーす!』
「あ、ローズさんだ……」
画面には司会のお姉さんと派手な衣装に身を包んだ青年が映し出されている。
『始めまして、W・B・ローズです』
『なんとローズさん、今回はこの番組のために来日してくださったそうなんですよー!』
ローズが笑顔を振りまくと、客席からは黄色い声が上がった。
「ローズさん……」
ヒグラシはその画面を嬉しそうな、それでいて悲しそうな目で見つめていた。


話は3ヶ月前にさかのぼる。
ヒグラシとローズは3ヶ月前に開かれた、”ポップンパーティ”で出会った。
もうすでに世界で有名であったローズの歌声とパフォーマンスに、ヒグラシは一瞬で心を奪われた。
ローズもヒグラシの澄んだ歌声とまっすぐな歌詞に心を惹かれていた。
そんな二人が恋に落ちるのは、必然のことであった。
ポップンパーティ最終日、ローズはヒグラシに愛を伝えた。
ヒグラシもそれを拒む要素は何もなく、二人は「恋人」と呼ばれる関係になった。


……しかしそれから3ヶ月。
住んでる国も、生活リズムも、職業も違う二人は全然会えずにいた。
一ヶ月に一度ほど手紙のやり取りはあるが、直接会うことは今までなかった。
「会いたいな……」
ヒグラシはぽつりと言葉を漏らした。
画面には楽しそうにトークを繰り広げるローズの姿が映っている。
そんなローズの姿をしばらく見つめ、ヒグラシはテレビを消した。
これ以上ローズの姿を見ていると、泣いてしまいそうだったから。
ヒグラシは近くの引き出しの中から二通の手紙を取り出した。
差出人の欄には綺麗な字で、「W・B・ローズ」と書かれている。
中には近況を尋ねる文やローズ自身のことが書かれた文がつづられている。
ヒグラシも自分のことや近況を伝える返事を出した。
ヒグラシは手紙を少しだけ見ると引き出しに戻した。
「……ローズさん……」
想い人の名前をつぶやくと、心の中に寂しさがあふれてくる。
ヒグラシは頭を振って寂しさを振り払った。
「はぁ……駄目だなぁ、僕って……」
なかなか会えないってわかってたはずなのに……
これ以上家にいるとローズを思い出してしまいそうで、ヒグラシは外に出かけることにした。




カラン……、ドアのカウベルが来客を告げる。
ヒグラシが辿り着いたのは一軒のバーであった。
薄暗い店内ではジャズが演奏されており、落ち着いた空気が流れている。
ヒグラシはカウンターにつくと甘いカクテルをオーダーした。
しばらくすると演奏が終わったのか、拍手がところどころから湧き上がっている。
ヒグラシも軽く拍手をすると、運ばれてきたカクテルに口をつけた。
このバーの雰囲気がヒグラシは好きで、よく足を運んでいた。
「隣、いいかね?」
演奏を終えたピアニストがヒグラシの隣に座った。
「こんばんわ、グリーンさん」
「いらっしゃい、ヒグラシくん、ゆっくりしていきたまえ」
「はい」
このサングラスをかけたピアニスト、グリーンもポップンパーティで知り合った一人である。
グリーンにこの店のことを教えてもらって、ヒグラシはここに通うことになった。
パーティ参加者の中にも常連は多く、店内には見知った顔もちらほら見受けられる。
やがて、グリーンの前にも一杯のカクテルが運ばれてきた。
グリーンはバーテンと会話を交わすとカクテルに口をつけた。
「……で、何か悩みでもあるのかね?」
「へっ?!」
いきなり図星をつかれたヒグラシは驚いて大きな声を出してしまう。
「違うのかい?君の顔は悩みを抱えているものの顔をしているのだが……」
この人は鋭い。
でも、そう言い出してくれるのを少しは期待していたのかもしれない。
「……恋の悩みなんですけど」
「ふむ」
ヒグラシは今の悩みを少しずつグリーンに話しはじめた。
「その、僕今付き合ってる人がいまして……」
ローズさんなんですけど、とは言えずにヒグラシは少し言葉をぼかした。
「その人はとても忙しい人でなかなか会えないんです。
もともと忙しいとはわかっていて付き合い始めたんですけど、やっぱり会えないのって結構きます
ね。
しかも、その人はとてもかっこよくてもてる人なんです……
僕のこと好きでいてくれるのは、わかるんですけど、ちょっと不安になってしまったりで……」
グリーンはカクテルを飲みながらヒグラシの言葉に耳を傾けている。
「忙しい人だから僕のわがままなんですけど……、やっぱり会って一緒にいたいと思ってしまうん
です」
「なるほど」
グリーンが空になったグラスを机に置く。
「わがままでいいじゃないか」
「え?」
「ちゃんと、「会いたい」って言った事はあるかね?」
思い出してみると、「会いたい」ってちゃんと告げたことはないかもしれない。
「君のことだから「相手の迷惑になるかもしれない」とか思ってるんだろう?」
図星をつかれたヒグラシは何も言うことができない。
「……やっぱりね」
グリーンはバーテンを呼んで追加のオーダーをしながら言った。
「……気持ちっていうのは相手に伝わらなきゃ意味がないんだよ。
たしかに、相手を思いやることは大切だが自分の主張はちゃんと言わなければいけない。
……それが恋人というもんだろう?」
グリーンは続ける。
「……気持ちというのははっきり伝えないと意外と伝わらないものだよ。
連絡手段はあるんだろう?はっきり伝えてみなさい、「会いたい」とね」
バーテンが二つのグラスをテーブルに置く。
「私のおごりだ、飲みなさい」
「あ、ありがとうございます」
ヒグラシがグラスに口をつけると、口の中にさわやかな味が広がる。
「あ、おいしい……」
「すっきりするだろう?……とにかく、気持ちを伝えてごらん、全てはそこからだよ」
「はい……」
気持ち……。
「まぁ、今日は飲むとするか、ヒグラシ君と飲むのも久しぶりだな」
「そうですね」
カクテルを飲みながらヒグラシはずっとグリーンの言葉を胸の中で繰り返していた。
『気持ちを伝える』
気持ち……会いたいな……。
ローズさんに会いたい。


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