あれは親父が市長に就任してからすぐの時だから、もう5年も前のことになるのだろうか。 親父に無理やり、市役所に連れて行かれた。 別に俺は親父の仕事に何か興味なかったのに。 俺は心底、親父とは気が合わないと日々感じていた。 市役所で俺と親父を向かえたのは、眼鏡をかけた一人の職員だった。 『やぁ、紹介しよう私の息子の雅彦だ、ほら挨拶しなさい』 親父が俺を紹介すると眼鏡の職員はやわらかい笑みを浮かべ、頭を下げた。 俺もしぶしぶ形だけ頭を下げる。 『初めまして、ツクバと申します』 深々と頭を下げるその姿を俺は内心見下していた。 どうせ市長の息子だからそんなにぺこぺこするんだろう? じっとりとした目で見つめる俺に気がついたのか、親父が軽く咳払いをする。 『まったく……どこで育て方を間違ったのか、なってない息子ですまないね』 はん、別に親父に育てられただなんてこれっぽっちも思いたくないけどな。 『そうだ、ツクバ君だったかな、ちょっと君に頼みたいことがあるのだが』 『はい、私にですか?』 『雅彦にこの市役所の中を案内してやってはくれないか?』 俺は心底ぎょっとした。 何でそんなことにつき合わされないといけないんだ! 『私はこれから人と会う約束があってな』 『私でよろしければ、喜んで』 『親父っ!』 『雅彦』 親父が俺をにらみつける。 『お前もよく見ておきなさい、この市のために働いていてくれている人の姿を』 親父のあまりにもまじめな目線に、俺は言葉を詰まらせた。 『それじゃあ、たのんだよツクバ君』 『はい』 そう言って親父は足早に、応接室へと消えていってしまった。 後に残されたのは俺と”ツクバ”という職員だけ。 『ええと、それではどこからご案内いたしましょうか……?』 『別にいいよ』 『はい?』 どうせ、親父に命令されたからって嫌々やってんだろう? 思った言葉がそのまま、口から吐き出される。 目の前にいるそいつの瞳がどんどんと困惑の色に染まっていった。 『俺は、帰る』 親父の遊びになんて付き合ってられるか。 そう言って俺はその職員に背を向け、歩き出した。 『あ、あの!』 俺を呼び止める声が背中に響く。 『何、なんかよう?』 俺を呼び止めた職員の姿じろりとにらみつける。 そいつがびくっと肩をすくめるのが見えた。 『俺、忙しいんだけど』 『あ、え、ええと……』 『それとも何?俺の時間をとらせるだけの案内してくれるっていうの?』 『それは……』 別に親父に何を言われようが俺のしったこっちゃないね。 俺は自分の時間を有意義に過ごすので忙しいんだ。 まだ固まったままのそいつの顔を一瞥して、俺は再び歩き出し出口である自動扉の前に立つ。 『ちょ、ちょっと待ってください!』 自動扉が開いたのと同時に、また俺を呼び止めるあの職員の声。 『何?これ以上俺の時間を無駄に消費させる気?』 俺の刺すような目線に、そいつがごくりとつばを飲み込む。 『い、今は雅彦さんのお時間をとらせるようなご案内はできないかもしれません』 相当緊張しているのか、指先が震えているのがわかる。 『けれど!今度いらっしゃるときまでには、雅彦さんのお時間をとらせるに値するご案内をさせて いただけるよう努力させていただきます!』 『……あんたが?』 『はいっ!再び、雅彦さんが来てくださるのをお待ちしております!』 くくっ、と自分の顔に笑みが浮かぶのがわかる。 今の自分の目はどんなに冷たい目をしていることだろうか。 俺はその発言を鼻で笑うと、今度こそ振り返らずに市役所を後にした。 帰ってから親父にこってり絞られたけど、別に知ったこっちゃなかった。 俺には、俺がいればそれでいい。 ただ、あの職員のまっすぐな瞳が頭に残ったが、年を重ねるごとに思い出すことも無くなっていった。 あれから5年、マルチアーティスト”ナルヒコ”としてポップンパーティにまで招待されるほど、 すばらしい俺へと成長した。 親父はまだ市長を続けている。 ……相変わらず気はあわないけど、俺を認めてくれてはいるようだ。 けれどもあれから5年、俺は一度もあの市役所には足を踏み入れることはなかった。 風の噂でまだあの職員が市役所に勤めていることは聞いたが、必然的に顔をあわせることもなかった。 『なかった』……そう、この時までは。 |
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