朝、俺は床で目を覚ました。 「頭いてぇ……飲みすぎたな」 二日酔いでくらくらする頭を持ち上げ、ベッドの方をみる。 ベッドの中には誰もおらず、一瞬昨日の夜の出来事が嘘のようにおもえてきた。 しかし、体に丁寧にかけられた毛布と枕元に残されたメモがそれを否定した。 『仕事があるので失礼します、ありがとうございました』 よっぽど慌てて書いたのだろうかメモの端は大きく破れ、文字は激しく乱れていた。 裏を見てもどこをみてもメモにはその一文しか書かれていなかった。 「ふわぁ……」 あくびをしながら体をおこし、洗面所に向かう。 鏡の前に立つと、ひどくしょぼくれた姿の男が映し出される。 「……ひでぇ顔」 気がつくと、あんなにくっきりついていた頬の手形は跡形もなく消えていた。 目を覚ますために自分で自分の頬に平手を打つ。 少しだけ赤い跡が残ったがそれもすぐに消えてしまう。 昨夜の奴の顔を思い出すが、気がつけば泣いている姿しか思い出せず その感覚はパーティの後の静けさとよく似ていて、俺は一晩で二回失恋したのだと気づいた。 「わーった、わかったから、今度は出るそれでいいだろ?! 切るぞ!」 あの夜から一ヵ月後。 俺は携帯電話を片手に市役所に来ていた。 電話の相手はブロンドだ……俺はあの日からイベントへの参加を休んでいた。 それを心配したブロンドからの電話を遮って、通話終了のボタンを押す。 理由は一つ、あいつに合わせる顔が無いからだ。 謝ろうが何しようがはぐらかされたら終わり、そんなことにはなりたくなかった。 俺は初めてパーティのルールを憎んだ。 「……はぁ、さっさと手続きすませて帰ろう……」 えーと、住民課住民課、あった。 「すみません、転入届は……」 「あ、はいそれならこの紙に記入を……」 時が、止まる。 それもそのはず、今目の前には一番会いたくない顔があったのだから。 思わずお互いに激しく目をそらす。 「こ、この紙ですか、わかりました」 まるで世界中から音が消えたようだ、筆記具を走らせる音だけが静寂の中響き渡る。 「……最近、姿が見えないから心配してました」 静寂を破ったのは、意外にもその相手だった。 周りに聞こえないように小さな、しかしはっきりとした声が耳に届く。 「……引越しとかで忙しくてな」 「……そうですか……」 再び静寂が訪れる。 俺は観念して、口を開いた。 「あの日のことを、忘れてほしい」 奴の目が見開かれ、俺を見るのを感じた。 しかし俺が視線を紙に戻すとやがて視線が元に戻されるのを感じた。 書類を書くならいったん場所を離れればいいのに、俺は人が来ないことをいいことに その場で筆記具を走らせ続けた。 「……それは僕との関係を忘れたいということですか……」 搾り出されたように小さな声はかすかに震えているようにも聞こえる。 俺は一度深呼吸をし、意を決して答える。 「違う」 はっきりとした声で相手の発言を否定する。 「何が違うんですか? 忘れたいってそういうことでしょう?」 「違う……やり直したい」 相手の震える声を遮り、自分の意思を伝える。 「あんたとは……パーティの外で出会いたい」 あんたを、詮索したいんだ。 しんとした空気が重くのしかかる。 「……嫌です」 相手の一言が鋭く胸に突き刺さる。 「……そっか、そうだよな、身勝手な提案ですまない」 「違います」 俺の発言が今度は相手に遮られる。 「……違います、僕も貴方を知りたい、けどあの日のことも忘れたくはありません」 相手の発言に今度は俺が目を見開いて驚く番だった。 はっとして顔を上げ、相手を見ると目の前の奴はにっこりと笑っていた。 奴の手が記入の終わった書類を俺の手からそっと抜き取る。 「……それはどういう」 「貴方も鈍いですね、あ、ここに印鑑をお願いします」 「あ、ああ、印鑑だな」 指し示された場所に印鑑を押す。 その印鑑にはしばらく忘れていた名前が刻まれていた。 「はい、少々おまちください」 奴が書類を持ち立ち上がっても、俺はその場から動けなかった。 さきほどの発言の意味を繰り返し、繰り返し反芻する。 しばらくすると奴が戻ってきて、動けない俺を見てまたにっこりと笑った。 「……言っておきますけど僕も一度も彼女だなんて言ってませんからね?」 硬直して動けなくなっている俺から目を離し、奴がまた目の前の椅子に座る。 俺はどこを見ていいわからずに奴の胸についているネームプレートを見た。 『ツクバ』と書かれたネームプレートを付けた相手がまた俺を見て笑う。 ひときわ小さく、はっきりと奴の声が俺に届く。 「……ずっと、貴方の本当の名前が呼びたかった……」 そして、奴が忘れ去られた俺の名前を呼ぶ。 |
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