あの日



みんなパーティに夢中なのか、外のロビーはやけにガランとしていた。
自動販売機からジュースが落ちる音が響く。
「ヒグラシ、ココア好きだったよな?」
マコト先輩が僕にアイスココアの缶を手渡しながら言う。
僕の好きな物、覚えていてくれたんだと思うと、その記憶力に感心すると同時に嬉しさがこみ上げてくる。
近くにあった手ごろな大きさのソファーに腰を下ろす。
マコト先輩が手の中にあるレモンティーの缶を開ける。
静かなロビーにその音がやけに大きく響いた。


「……高校卒業以来……正確にはあの日以来か」
マコト先輩がぽつりと呟く。
『あの日』という単語が出てきて、僕はびくっと反応してしまう。
「……あれから連絡、くれなかったな」
「受験勉強で忙しくなってしまいまして……マコト先輩も忙しそうでしたし」
「まぁな……」
僕は手の中のアイスココアのプルタブに手をかける。
缶が開くと、ココア独特の甘い香りがふわりと香った。
「……後悔してるのか?」
「何がですか?だいたい僕は何も覚えてないんですから、後悔のしようがありませんよ」
「そうか」
「あれは酔ったいきおいだったんでしょう?若気の至りってやつですよ」
アイスココアに口をつける。
……甘い。



僕とマコト先輩は高校時代の軽音部の先輩後輩関係で、僕を勧誘してきた人だった。
そこで僕は音楽の楽しさを知り今に至るわけなんだけども……それは今は関係ないことだね。
もともと部員が少なかったから、僕とマコト先輩はすぐに仲良くなった。

僕と、マコト先輩に色濃く残る『あの日』。
それは、マコト先輩が卒業を控えたある日のことだった。
マコト先輩の専門学校への進学がきまり、僕とマコト先輩は二人でささやかながらお祝いをすることにした。
当時は未成年だったけど、特別な日だったから少しお酒も入ってた。
ことの始まりは一本のビデオ。
なんでも、マコト先輩が同級生からダビングしてもらった秘蔵のAVらしい。
思春期の男子にはありがちなことだね、それからAVの鑑賞会が始まった。
僕とマコト先輩はお酒を飲みながらそのビデオをじっと見ていた。
この頃にはずいぶん酔っていたと記憶している。
ビデオが山場に入り、僕の体に少し困った変化が現れ始めた。
あの頃の僕は若かったなぁ……。
僕が困っていると、マコト先輩がその様子に気づいたのか僕をからかい始めた。
そして、言い争うようにじゃれあって、マコト先輩が僕に覆いかぶさる形になってしまって。
どうしたらいいのかわからなくて、マコト先輩の顔を見ると、ちょうど目が合った……そして。

マコト先輩が僕を押し倒したまま唇を重ねてきた。

『……××××』
……そこから先は、覚えていない。
目が覚めたらマコト先輩が隣に寝ていて。
ひどく頭が痛んで、体がだるくて……マコト先輩が必死で謝ってきた姿が印象的だった。
僕は何が起きたのか全てを悟った。
僕と、マコト先輩は……。


「……ヒグラシ?」
マコト先輩の声にはっとなり、僕はまた自分の世界に行ってしまったことに気がついた。
「あ、すいません……ちょっと考え事をしてしまって」
マコト先輩がくすっと笑みを作る。
何人もの女学生をとりこにしたそのスマイルは、高校時代のときから変わっていないように思えた。
「また自分の世界に行ってたのか?相変わらずだな、ヒグラシは」
マコト先輩があきれたように笑う。
そして、すぐに真面目な顔に戻った。
「ほんと、変わってないな……性格も、顔も、雰囲気も……」
「……先輩?」
マコト先輩の強い瞳が僕の目線を縛る。
「なぁ、あの日のこと本当に覚えてないのか?」
「は、はい……マコト先輩に押し倒されてからは何も……」
「そうか……」
マコト先輩が目線をはずす。
マコト先輩は何か考え込んでいるようだ。
「……あの、それが何か?」
「いや……」
マコト先輩が目だけで僕のほうを見る。
「俺、ヒグラシに謝らなきゃいけないことがある」
謝る?僕に?
マコト先輩が一呼吸置き、僕のほうを見る。
その目は、何かを決意したような目だった。

「俺は……あの時酔ってなんかいなかった」


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