スパイス





ひっかけられたプレートが「OPEN」になってるのを確認して扉を軽く押して開くと、カウベルが小さ
な音を立てて、俺の侵入を店内の人間に告げる。
開店直後の店の中に客の姿はなく、ただケーキのおいしそうな甘いにおいが広がっていた。
「いらっしゃいませー、あっ、ジャスティスさんじゃないですか!」
「どうも」
もうすっかり顔なじみになってしまった店員さんと挨拶を交わし、太陽の光が注がれる窓際の席に腰を
おろし、テーブルの上に広げられたメニューに目を通す。
……もっとも、メニューを見る必要なんてないんだけどね。
「もー、全然お店にいらっしゃらないから心配していたんですよ?」
「あはは、ちょっとレコーディングが忙しくてね」
メニューのをなぞるように指を滑らし、ある一点で指を止める。
「ホットコーヒーとチョコレートケーキ」
「はいはい、いつものですね」
店員さんはなれたように注文を書き留めると、厨房の方へと消えていった。
窓の外を見ながら、かけていたサングラスをはずし、そっと胸ポケットへとしまう。
今日はいい天気だな……。
そんなことをぼんやりと考えているとやがて、香ばしいコーヒーのにおいが漂いはじめ、店員さんが
コーヒーの注がれたカップとケーキの乗ったお皿を持ってやってきた。
「お待たせしました、チョコレートケーキとホットコーヒーになります」
「ありがとう」
「ジャスティスさんってばすごくチョコレートケーキが好きなんですね」
たまには他のケーキもいかがですか?と、店員さんが笑いながら言う。
俺はそれに笑って答えると、暖かいコーヒーに口をつけ、チョコレートケーキにフォークをさした。
チョコレートケーキを口に運ぶと、ほろ苦い味が口の中に広がる。
ああ、あの時と同じいつもの味。
……でも、やっぱり何かが足りない。





「そんなに眉間にしわ寄せちゃって、綺麗なお顔が台無しよ?」
第12回ポップンパーティ、光栄なことにそのパーティに招待された俺は、そのあまりの規模の大きさと
人の多さに少々酔っていたのかもしれない。
体の疲れを感じて椅子に座って休憩していると、頭上から声が降ってきた。
明らかに口調が女の子なのだが、声が……明らかに低い。
「ええと……ジャンさん、でしたっけ?」
「あらうれしい、覚えていてくれたのね」
「忘れられませんよ」
……忘れられるものか。
よく伸びる低音の声、舞台上でのパフォーマンス、そしてその外見に似合わないキャラ。
その衝撃は俺の心の中に強い跡を残していた。
「アタシも覚えてるわよ、ジャスティスちゃんよね?」
「あ、ど、どうもありがとうございます」
「んもう、ジャスティスちゃんってばかっこよかったわよ〜、歌ってるときも思ってたけど、
本当にいい声してるわねぇ、アタシ、ジャスティスちゃんの声好きよ」
ポップンパーティに出ることによって、顔と名前が広く知れ渡ることになるだろうと覚悟はしてたけど
やっぱり面と向かってそんなに褒められると少し照れちゃうな……。
顔がぎこちなく緩むのを感じていると、ジャンさんがにこっと微笑む。
「うふふ、照れちゃってかわいい、でもだいぶお疲れのようね?」
「やっぱり、わかりますか?」
「わかるもなにも一目瞭然よ、こーんなに眉間にしわ寄せちゃって」
ジャンさんのごつごつしてるけど綺麗な指が、俺の眉間をなでるように軽く触れる。
「ちょっと待ってて」
ジャンさんはそういうと、スキップをするような軽い足取りで人ごみに消えていき、やがて一枚のお皿
を持って帰ってきた。
差し出されたお皿の上には生クリームの添えられたチョコレートケーキが座っていた。
「アタシの作ったケーキなの、よろしかったら召し上がらない?」
俺は迷った。
正直、甘いものはあんまり得意じゃない。
でもここで断ってジャンさんをがっかりさせるのも忍びない。
しばし考えた後、俺は正直にジャンさんに言うことにした。
「え、えっと……」
「ふふ、ジャスティスちゃんあまり甘いものは得意じゃないんでしょう?」
ジャンさんの言葉に一瞬、体が固まる。
確かにそうだけど、俺はそんなこと一言も口に出してない。
驚いて動きを止めた俺を見て、ジャンさんは喜ぶように笑顔を俺に向けた。
「やっぱりね」
「やっぱり?」
「なんとなく、見ていればわかるのよ」
ジャンさんがパーティ会場を通り過ぎる人の姿に目を向ける。
「例えば、あの子はさっぱりとしたフルーツが好きそう、とかあの子は生クリームをたっぷり使った
ケーキが好きそうとかがなんとなくわかるのよ……伊達に長い間パティシエやっているわけじゃないわ」
ジャンさんが柔らかな笑みを顔にたたえながら俺の方を向く。
「……そして、あなたは甘さ控えめの方が好き……どう?」
「……その通りです」
「ふふ、アタシの人を見る目もまだまだ落ちてないわね、これはねそういう人に向けて作った甘さを
ぐっと抑えたチョコレートケーキなの」
もちろんこの生クリームもね、と付け加えながらジャンさんは笑う。
俺は固まってしまった体を動かし、ジャンさんの手の中にあったお皿を受け取った。
「……いただきます」
どうぞ、と微笑みながら俺の隣の椅子に座るジャンさんの視線を感じながらお皿に乗せられた
チョコレートケーキを一かけら、恐る恐る口に運ぶ。
とたんに口の中に広がるのは、深みのある苦味と、その後ろに隠れたほのかな甘み。
「……おいしい……」
無意識のうちに俺の口は言葉をこぼしていた。
甘さを抑えられたクリームと良くあって、これなら俺でも無理なく食べられる。
「甘いものにはね、疲れを和らげる効果があるのよ」
「え?」
フォークを片手に持ったまま顔を上げると、ジャンさんの優しい笑みが目に入る。
「せっかくのパーティなんだから、楽しまないとね?」
「……そうですね、ありがとうございます」
「やぁね、お礼なんていいのよ」
ジャンさんが照れたように小さな笑い声を上げる。
俺はそんなジャンさんを見ながら、もう一かけらチョコレートケーキを口に運んだ。
「やだ、ジャスティスちゃんほっぺたにクリームついてるわよ」
「え、ど、どこですか?」
ジャンさんの指が俺の頬を掠める。
「もう、そんなに夢中になって食べなくてもケーキは逃げないわよ」
「す、すみません、あまりにおいしかったんで……」
「ふふ、そういわれるとアタシも愛情たっぷり込めて作ったかいがあるってものだわ」
「ジャンさーん!」
遠くから、ジャンさんを呼ぶ声がする。
この声はたしか、司会のミミちゃんとニャミちゃんかな?
「ああっいたいた!」
「もー、探したよー」
「あらあら、ごめんなさいね」
人ごみを掻き分けて、ウサギの耳を持った女の子と猫の耳を持った女の子が勢いよく飛び出す。
「ジャンさんのケーキすっごい人気で、もうなくなっちゃいそうなのよ!」
「それは困ったわねぇ……それじゃあまた新しく焼きましょうか」
「そうこなくっちゃ!」
ミミちゃんとニャミちゃんに袖をひっぱられながら、ジャンさんが腰を上げる。
「またね、ジャスティスちゃん」
「大変ですね」
「そうね、でもアタシのケーキを求めてくれる人がいるんだもの、がんばらなきゃ、ね?」
早く早くとせかす二人に手を引かれながら立ち去っていくジャンさん。
ふと、ジャンさんが立ち止まって振り向いた。
「今度はもっと、ゆっくりお話しましょうね」
そういうと、ジャンさんはにぎわう人々の中へと消えていった。
俺は人ごみにまぎれていくジャンさんの背中を見ながら、残りのチョコレートケーキを口に運んだ。





フォークを置き、少しぬるくなってしまったコーヒーでのどを潤す。
店の中にも一人、二人と人が増え始め、太陽も空高く上ろうとしていた。
……そう、ここはあの人のお店。
パーティの後、日本を気に入ったジャンさんが出した日本支店。
もちろん、使っている材料も作り方もあの時と一緒のチョコレートケーキ。
それなのに何故物足りない気分になるんだろう。
ふぅ、と一息ため息をついて背筋を伸ばしたところで扉についているカウベルが新たな来客を知らせる。
そろそろ込み始める時間だろう、俺は残っていたコーヒーを一気に飲み干すと、席を立った。
レジには先ほどの顔なじみの店員さんの姿がある。
「チョコレートケーキとコーヒーで600円になります」
「じゃあ千円札で……今度ジャンさんはいつ日本に来ますか?」
「400円のお返しとレシートになります、ええと……再来週あたりとおっしゃってましたが」
「再来週か……」
再来週は確かライヴの打ち合わせと生放送の歌番組と……だめだ、時間が取れそうにない。
俺は持っていた小さなかばんを開けると、中に入っていたビニールの袋を取り出した。
「そっか、それじゃあコレ、ジャンさんに渡しておいてもらえないかな」
「これは……CDですか?」
「うん、俺の新しいアルバム、ジャンさんに聞いてもらいたくて」
本当は直接、渡したかったんだけども。
「ええっ、もしかして来週発売のやつですか?!いいなぁ……」
「あはは、そういうと思って2枚入れておいたよ、それじゃあよろしくね、ごちそうさま」
うれしそうに笑う店員さんに背を向けて、扉を開く。
「うわっ、まぶし……」
空高くのぼった太陽の光が容赦なく俺に降り注ぐ。
俺は胸ポケットにしまったサングラスを取り出して、かけなおした。
「もうすっかり、夏だなぁ……」
あれからジャンさんとはすれ違いが続き、結局その後のパーティでしかあえていない。
サングラス越しに太陽を見上げながら、遠いフランスの地に思いをはせる。



『アタシ、ジャスティスちゃんの声好きよ』



あなたが好きだといってくれた俺の声は、
ちゃんとあなたに届いていますか?



太陽をさえぎるように、一匹のカラスが青空を横切った。


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