恋文



「今日も大変でしたねー」
夕暮れ時の多摩川の川岸に、夕陽を浴びてきらめく列車とそれを磨く一人の男の姿があった。
この辺りは整備された公園も無く、ただ草が無造作に生えているだけなので人の姿はあまり無い。
それは列車を磨くその男……F-trainにとっては好都合であった。
『チャント、ミガイテクレヨ』
列車が言葉を発する。
「はいはい、まかせて下さいな相棒」
F-trainは軽く笑って持っていた雑巾を川の水に浸すと、また車体を磨くことに集中した。


−恋文−


休憩時間にここに来て、相棒の体を磨くのはF-trainの日課であった。
いくら小型とはいえ新幹線、そんな相棒を停車させられる場所はそれほど多くは無い。
その点、ここは向かいに大きな公園があるせいか人通りは少なく、広い場所であるということで都合がよ
かったのである。
たまに来る人といえば、楽器の練習をするものや散歩をするものぐらいでF-trainはこの場所が気に入っ
ていた。
「気持ちいいかい?」
『オウ、モットウラガワノホウモミガイテクレ』
「まったく、お前って奴はわがままですね」
憎まれ口をたたきながらも、薄汚れてきた雑巾を片手に車体をスミからスミまでピカピカにしていく。
何と言ってもその列車……相棒は彼の大切な仕事仲間なのだから。
「しゅっぱつしんこーう、ん〜ん、んんんん〜ん〜」
鼻歌を歌いつつ上機嫌で列車を磨いていると、急に視界が薄暗くなる。
驚いて顔を上げると、それはある人物によって太陽の光がさえぎられたからだとわかった。
いつのまにか、F-trainの横には大学生ぐらいの男が立っていた。
古臭い学生帽に、長いマフラー。
F-trainは「ああ」とつぶやいた。
この顔には見覚えがある、確かよく鉄橋の下でギターを弾いている奴だ。
F-trainの頭に激しくギターを掻き鳴らす男の姿が思い起こされる。
横に立った男は何もせずにただ、F-trainの方を向いて立っていた。
表情は逆光になっているせいで読み取ることはできない。
「……なんか用です?」
F-trainは怪訝な顔をしながら、目の前の男に問う。
すると、男はF-trainに向かって一通の封筒を差し出した。
「……あんたに……」
男がポツリととても小さな声でつぶやく。
その声は小さいながらもF-trainの耳にはしっかりと届いた。
そういや、声を聞くのは初めてだな、とF-trainは思いつつ男の手から封筒を受け取った。
「……それじゃ」
男はF-trainが封筒を受け取ったのを見ると、踵をかえしてあっという間に走り去って行ってしまった。
「あっ……行ってしまった……」
F-trainの手の中には男がおいてった、淡い緑色をした封筒が残された。



「……これって……」
車体の清掃を終えたF-trainは相棒の背中に寝転び、先ほど渡された封筒の中身を見ていた。
封筒の中には綺麗に折られた一通の手紙が入っていた。
そこにはひどく達筆な文字で内容が記されている。
あなたが、好きだと。
鉄橋の下からいつも見ていたこと。
一生懸命、車体を磨く姿がとても輝いて見えたこと。
笑顔が綺麗だったということ。
川に落ちたボールを拾って、持ち主に返していたところを見ていたということ。
そして、あなたのことがもっと知りたいということが丁寧に、事細かに記されていた。
「相棒ー、俺、男からラブレターもらっちゃいましたよー」
『ヨカッタジャネェカ、オメデトサン』
「いやいや、よくないって」
俺、そんな趣味ねぇしとF-trainはつけたしてもう一度、手紙に目をやった。
下書きまできっちりとこなして書かれたその手紙は、何度も何度も書き直した跡があった。
ひどく達筆な文字に、神経質なほどきっちりと折られた手紙はあの青年がとても真面目な人間であること
を物語っていた。
「だからってラブレターに『拝啓』はないですよ……これ、名前かな?」
手紙の一番最後に、カタカナで人名らしきものが記載されている。
「あー、ナカジ……ヌ?いや、マかな?達筆すぎて読めない……ナカジってことにしときましょう」
いつも、鉄橋の下でギターを弾いていたナカジの姿を思い出す。
弾きだされる音は、荒削りながらも才能を感じさせる音でF-trainはひそかにその曲を聞きながら洗車を
するのを楽しみにしていたものだ。
あんな荒々しい演奏をする人が、こんな生真面目な手紙を書いたのかと思うとおかしくてF-trainはか
るく噴出した。
手紙を渡す時の手は、今思えばかすかに震えていたように思う。
もしや、顔が赤く染まっているように見えたのも夕陽のせいではなかったのかもしれない。
「……どんな気持ちでこれを書いたんですかね」
手紙を見ながらF-trainはポツリとつぶやいた。
こんな真面目そうな手紙を書く人がラブレターを書くなんて、いったいどれだけ悩んだんだろう。
それも男が、男にあてて書くラブレター。
F-trainは車体の上で寝返りをうち、うつぶせの状態になった。
「なー、相棒ー俺どうしたらいいと思いますー?」
『シラネーヨ、スキニシロヨ』
「ちぇっ、冷たいですね」
F-trainは小さく舌打ちをすると、再度手紙を広げた。
最後の方にある一文に目が止まる。
−あなたのことがもっと知りたいです。
「もっと知りたい……ですか」
そういえば、ナカジのことを何も知らないな、とF-trainは思う。
事細かに記された内容に目をやると、ナカジがずっとF-trainのことを見ていたということがわかる。
「……あいつは知ってるっていうのに、俺だけ知らないなんて不公平ですよねー」
ナカジのことをもっと知りたいと、F-trainは思った。
最後、走り出す前の一瞬だけ見えた顔を思い出す。
……耳まで赤かったのは、もはや気のせいではないだろう。
今度会ったときは、この手紙の内容をナカジの言葉で聞かせてもらおうと、F-trainは思った。
そして……。


「相棒ー、今度あいつにあったら俺、あいつのマフラー剥ぐわー」
あいつの素顔を見てやろう。
とりあえず、手紙の返事書かないと。
まずは俺の名前からかなぁ、俺、車掌じゃなくて運転手なんだけどな。
そんなことを思いながら、F-trainは大切そうに、そっと手紙を胸ポケットの中に納めた。
口元が緩んでいるのにも気づかないままで。



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