小さな部屋で一人、愛用のシンセサイザーに向かい鍵盤をなでるように弾く。 いくつかの小さなフレーズが浮かぶも、どの音も俺の求める音は奏でてくれなかった。 一つ息を吐き、ヘッドホンをはずし、天を仰ぐ。 と、言っても天井が見えるだけなのだが。 ……曲が、できない。 思い切り伸びをすると、動きにあわせて椅子が小さな軋み音を立てる。 スランプなんて今まで何回もあった。 それでも、この何も浮かばない感覚になど慣れる事はない。 スランプの時というのは、光の無い洞窟の中を地図も持たずに手探りで進んでいくようなものだ、と あるミュージシャンは言った。 ……まったくもってその通りだと思う。 いつになればこの闇の中に光が差し込むのか、それは誰にも、他ならぬ自分自身にだってわかりゃし ない。 キシ、キシ、と椅子が軋む音がする。 それにしても、ここまで何も浮かばないとはね……。 手をかざし、いつもは自分の思い通りの音を奏でてくれるはずの自分の手をじっと見る。 じっと見ていると、この手は本当に自分の手なんだろうかという錯覚に陥るから不思議だ。 けれどその手を辿っていけば自分の体とつながっているのだから、きっとこの手は自分の手なんだろう。 「弾くしか、ないんだろうな……」 かざしたままだった手を組み、もう一度大きな伸びをする。 ……その瞬間、天地がひっくり返った。 と、思ったらどうやらひっくり返ったのは俺の方だったらしい。 椅子のキャスターが立てる乾いた音と、体に感じるしびれるような鈍い痛みがそれを知らせている。 フローリングから伝わる冷たさが、心地よくしみる。 だらしなく床に投げ出された体、不思議と起き上がろうという気にはなれなかった。 ただ、ひっくり返った時にシンセを蹴飛ばさなくてよかった、と思っただけだった。 何もする気になれず、ただただぼーっと天井を見つめる。 首を横に向けると、壁にかけてあるカレンダーが目に入る。 いくつかの締め切りにまぎれて、一際大きな丸印が付いている日付がある。 そこには、『第5回ポップンパーティ』とだけ小さな文字で記されていた。 「……ああ、もうそんな時期か」 今回も新曲は無しかな……。 そんなことを考えながら首を戻し目を閉じると、頭にポップンパーティの様子が思い浮かぶ。 アイス、タイマー、ジュディ、キング、マリィ……。 頭に次々に浮かぶおなじみのメンツの顔に、まるで走馬灯のようだと俺の頭が思う。 俺、このまま死んじゃうのかな? 不謹慎だと思いながらも俺の顔に笑みが浮かぶ。 相変わらず体を起こそうという気にはなれなかった。 次々と俺の頭を通り過ぎていく出演者達。 一人過ぎ二人過ぎ……最後に一人の少年が頭の中に残った。 『今度ポップンパーティってのをやろうと思うんだけどさ、お前参加しない?』 MZD。 『ん、俺?神様だよ、か・み・さ・ま』 自分のことを神だという少年は、ある日突然俺の前に現れた。 『お前おもしろいな、次のパーティも来いよ!な!』 ……俺に言わせればお前の方がおもしろかったよ。 『ようショルキー、遊びに来たぜ〜』 よくうちに来たよな、神の仕事はいいのか? ……今は次のポップンパーティの準備に追われてるんだろうな。 一つ一つ、MZDの言葉が浮かぶ。 浮かんだ言葉は輪を描くように舞って、俺の頭を通り過ぎていった。 もう思い出すこともなくなったのか、また闇が俺の頭を覆いつくす。 最後に一つ、ふわりと落ちるように闇を通り過ぎる。 『なぁショルキー、俺さショルキーのこと……』 「ああ、そうだなMZD……」 俺もだよ。 「呼んだ?」 「……っ!」 どこからか聞こえてきた声に、弾かれたように目を開けるとそこにはMZDが浮いていた。 淡い光をまとったMZDがふわりと床に足を付いて、俺の顔を覗き込む。 「何で……今はパーティの準備で忙しいんだろう?」 「ん、休憩休憩」 ……まさかバックレてきたんじゃないだろうな。 思いもしなかった人物の出現で、俺の意識は一気に闇から光に引き戻される。 「面白い格好してんな、ショルキー」 「……そりゃどうも」 MZDが床に倒れたままの俺をちゃかして笑うが、俺はやはり起き上がる気にはなれなかった。 MZDがシンセサイザーの方を向いて、渋い顔を作る。 「……曲、できないか」 「ああ、さっぱりだよ」 自分でも驚うほど軽い口調で言葉が零れる。 そんな俺を見たMZDがあきれたような顔を見せる。 「まぁできないもんはしかたねぇ、それよりお前の体の方が心配だしな」 MZDが俺の頬に手をあてる。 「あんま無理するなっていっただろうが、どうせお前のことだから寝てねぇんだろ?」 頬に当てていた手が今度は額に当てられる。 手のひらから熱が冷え切った体に伝わる。 「すっげぇ顔色わりぃぞ……根詰めすぎるのはお前の悪い癖だよな」 「……すまないな」 「すまないと思うんだったら自分の体調管理ぐらい自分でしやがれ、このアホ」 MZDが怒ったような口調で言う。 感情をあらわにするMZDが面白くて、俺は少し笑った。 「……何がおかしいんだよ」 「いや何でもないさ、ところでMZDちょっと頼まれてくれないか」 「あ?」 「……起きれないんだ、起こして、ついでにベッドまで運んでくれるとありがたい」 起き上がる気が起きないというのが正しいのかもしれないが。 MZDが頭をかきながら、「しかたねぇな」と笑う。 俺の体がMZDの腕に支えられ、ふわりと浮いた。 「まったく、しょうがねぇ奴だなついでに添い寝でもしてやろうか?」 MZDの言葉に笑い、目を閉じる。 心臓の鼓動がMZDが俺らと同じ生きている存在だということを主張している。 「……軽くなったな、どうせ食ってねぇんだろ」 「そうかもな……」 MZDの言葉に軽く相槌を打ち、MZDの音に耳をすます。 心臓の鼓動。 呼吸の音。 筋肉の収縮。 いろんな命の音が異なったリズムを刻む。 「……あ」 やがて、それらの音が合わさって俺の中で音階を作る。 「どうした?」 少年にしては低い声が降り注ぐ。 けれども今の俺にはその声も音楽を構成する一つの音にしかすぎなかった。 さまざまな音が頭を駆け巡る。 そうだな……タイトルは……命が動く、動力……。 「……いい曲が、できそうだ」 「そうか」 俺の求める音はこんなにも近くにあった。 俺は自分の手で、求めていた音を逃がさないようにつかんだ。 |
小説に戻る TOPに戻る |